読み苦しさはなんだったか

ここ何冊か読んでいて本を読んでいて苦しい、読み苦しさがありました*1。その読み苦しさはなんだったのか。梅棹さんの本の一節を読んで腑に落ちました。
読書の章で、食事と読書のアナロジーから次のように語られています。

… 食事には栄養ないしは健康という面と、味覚のたのしみという面とがあるように、読書にも、精神の糧という面と、心のたのしみとしての読書という面とがあるのではないか。栄養学と食味評論とがはっきりちがうように、読書においても、技術論と鑑賞論とは、いちおう別のこととかんがえたほうがいいということなのである。じつをいうと、ふつう読書についてのべられていることは、このふたつの区別が、かならずしもはっきりしていないのである。だから、へたをすると、栄養料理の教科書のつもりでよみだしたのに、食道楽の「通」談義をきかされた、というようなこともおこりかねない。

まさしくこの状態だったわけです。このミスマッチはそれは苦しいはずだ。
しかし新潮選書のぜんぶがぜんぶ娯楽本というわけでもないようので区別をつけるのが難しいです。リソース・イーターをプリフィルタリングできるように、精進、精進。

*1:id:Chuck:20040508#p1, id:Chuck:20040507#p1, id:Chuck:20040505#p2 参照。